私は日頃から
育成年代、社会人のトレーナー活動やサッカー指導に携わる機会が多く、
「練習とはなんぞや?」
「どうすれば上手くなる?」
などと日々思うことがあります。
そこで、「練習の基礎的原理」について、
調べてみたので、
主観も混ぜて述べていきたいと思います。
練習とは?
そもそも「練習」とは、「運動学習」と捉えていいでしょう。
では、「運動学習」とはなんでしょう?
「運動学習」とは簡単にいうと、
「新しく運動を覚える」
ということです。
つまり、
「練習」とは、
「新しい運動を覚える機会」
または、
「すでに覚えた運動を場面に合わせて再現する機会」
であると言えます。
それが
・個人なのか集団なのか?
・体育館なのか?グラウンドなのか?
・道具を使うのか?使わないのか?
・閉鎖スキルなのか?開放スキルなのか?
※閉鎖スキル
予測できる環境→体操、アーチェリーなど
※開放スキル
予測できない環境→サッカー、レスリングなど
などスポーツによって変わってきます。
練習において最も大切なこと
「練習」とは、
リチャード・A・シュミットは、
練習の量と質について、
「学習にとって最も重要な変数は、練習そのものである。」
と述べています。
また「kottke,halpern,easton,ozel &burrill,1978」の研究では、
15年間にわたって各スポーツを概算した結果、
・プロフットボールのクォーターバックは140万のパスを投げている
・プロバスケットボールプレイヤーは100万回のシュートをしている
ということが分かりました。
つまり、第一優先は「練習の量」であると言えます。
しかし、「練習の質」も重要です。
これは、
新しいスキルを獲得する際に、
以前に行なっていたこととは異なる何かをすることによって、新しいスキルを獲得する過程がある。
学習過程では、選手が運動のパターン形成の何かを変化させることを必要とする。
と述べています。
つまり、すでに覚えた練習とは別の方法で、運動を行わなければ、
「新しい運動」は覚えられないのです。
これには、
能動的に頭で考えて運動に取り組まなければなりません。
(前頭葉をフルに使っている感じ)
これらのことから、
①練習中、多く動く(試行頻度を高める)
②練習中、新しいスキル獲得に尽力する(考えながらチャレンジする)
という2つの見方が出来る。
しかし、コーチはそれぞれの学習で
「とにかく最善を尽くせ!」
と声かけをしてしまうと、選手に対し、
抽象的かつ矛盾を抱えさせてしまうことになる。
なぜなら、 ①と②では学習の過程が異なるためである。
①練習中、多く動く(試行頻度を高める)の場合
①の練習中、多く動く(試行頻度を高める)を試みている選手は、
試行ごとの運動の修正は抑えて、数をこなそうとする。
つまり、すでに覚えている「運動パターン」の「成功率」を高めるように、「意識」して練習に取り組んでいる。
②練習中、新しいスキル獲得に尽力する(考えながらチャレンジする)場合
②の練習中、新しいスキル獲得に尽力する(考えながらチャレンジする)場合を試みている選手は、
新たな「スキル」の獲得、新しい「運動パターン」の獲得に対し、試行ごとに結果の知識をもとに、修正を行っている。
つまり、新しいフェイントや技などが成功したか否かの「再現性」を「意識」して練習に取り組んでいる。
※ここで述べる「再現性」とは、異なる環境でのスキルの成功率と考えておいて下さい。
なんて「声かけ」をすれば良い?
では、コーチはどのような「声かけ」をすれば良いのか?
まず、選手が①を意識してプレーしているならば、
「失敗回数の少なさ」
を指摘することに価値があると考えます。
これは、
「すでに覚えている運動の成功率」
が変数であるためです。
次に、選手が②を意識してプレーしている場合は、
「成功の有無」
を指摘することに価値があると考えます。
さらに、
失敗した場合は、
「なぜ失敗したのか?」
を具体的にテクニカルな「声かけ」をする必要が生まれてきます。
※選手によっては、再現性の低下の原因が精神面である場合は、テクニカルな問題ではないので、「声かけ」の内容が変わります。
これは、
「新たな運動パターンの再現性」
が変数であるためです。
これらのことを踏まえると、
今、選手が何を「意識」してプレーをしているのか?(①?、②?)
を見極める力が重要となります。
まとめ
以上のことから、
選手にとって良い練習とは、
・多くの練習量が得られる機会
(1ヶ月:試合回数、1週間:練習頻度、1回:プレー頻度に依存)
・選手のプレーの「意識」を見極めるコーチがいるチーム
が用意されている環境にあることだと考えます。
世の中には、
さまざまなアプローチをするコーチがいます。
やり方はたくさんあって良いと思いますが、
もし自分が選手であれば、
やみくもな
根性論だけで
抽象的な声かけをする
コーチがいる環境では「練習」したくありません。
(決して、声かけが理論的であってほしいというわけではありません。ただ今考えていることを真っ向から否定されるような声かけをされるとさすがに…ね?って感じです。)
私は、
コーチの主観軸に合わせた「声かけ」をするのではなく、
選手の「意識」に合わせた「声かけ」をティーチングすることが、
正しいコーチングなのではないかと考えています。
と自分に言い聞かせながら、日々指導に取り組んでいます。
偉そうなことを言っておりますが、
皆さんの考え方の一助になれたら幸いです。
参考
著者リチャード・A・シュミット 監訳調枝孝治,運動学習とパフォーマンス 理論から実践へ
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